どこか違和感…「戦わなければ世界は変えられない」って言葉
最近、とても気になっていることがあります。
「世界を変えたければ、戦うしかない」は正しい。そう考えがちな傾向を感じるんです。
とっても、ぞわぞわ。
桃太郎を読んでさ、
「あれって、略奪だよね」
との、感想をもつ人は、めずらしくないわけで。
戦いを全肯定してる人って、そんなにいないんだよね。
けれども、いざ、自分が桃太郎と同じ村に住んでる人間になると、
「鬼は全員ぶっころせ」みたいな心境になりがちてーか、
「鬼は殺されていい存在」とか言い出しちゃうってーか、
中立的な立場で見られないつーか、
「世界を変えるなら戦うしかない」とか言い出しちゃうってーか、
いや、共存すること考えようか。
って、思うんですよ。
なんで気になったかってーと、たまたま見た『仮面ライダー』がきっかけなんですけど。
「戦わなければ、世界は変えられない」みたいなことをしょっちゅう言ってたんですよ。
すっごいゾワゾワしちゃって。
作品に対して、文句を言う気持ちはないんです。
ただ、それをスッと受け入れちゃってない?社会の空気。
ってことに、ゾワゾワするんです。
コンテンツを作る側は、好きなモノを書けばいいと思ってる。
戦隊ヒーローものには、なにはともあれ戦っちゃうヤツがいないと、話が始まらない。
鬼が村の財宝を盗んでいきました。桃太郎は戦隊ヒーローに変身して交渉に出掛けました。鬼に盗まないようお願いしました。しかし、鬼も村人に木の実を取りまくられて怒っていることがわかりました。桃太郎は、村人が木の実を取るときはそれなりのお金を払うから、強盗はやめてくれと頼みました。平和協定が結ばれ、みんな、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。
誰が見るか、こんな戦隊もの。
っていうか、戦闘シーンがないじゃないか。
ってなわけで、
テレビの中では、闇雲に戦いに行くヤツが、主人公になりがちだし、
しかも、戦いで問題が解決する。
実際は解決しないからね。
桃太郎のあの話のその後が、本当に平和に暮らせたと思うのかい。
続編なんて、いくらでも作れますぜ。
で、話を元に戻すと、コンテンツを作る側は、好きなモノを書けばいいと思ってるんです。
一方で、見る側が、ちゃんとレベルアップしないと、
有害コンテンツを禁止しなければって思考になっちゃうとも思うんです。
まあ、ここすら排除の思考なんですけど。
なんかね、どちらにしろ、人生教訓を、アニメや漫画、ドラマ、映画からしか得ないのって、
ちょっと怖いなって
そういうの、感じるんですよ。
実はね、あたくし、最近まで、フランス革命で、フランスは平和になったんだと思い込んでたんです。
そんなことないんだね。
一方で、他の国では、戦闘もなく市民が権利を獲得していったりもしている。
けど、そんな話、ドラマにならない。
教科書に書いてあっても、記憶に残らない。
やっぱり、コンテンツになりやすいのはフランス革命。
なんかね、とっても、ぞわぞわ。
ワッホイ、ワッホイ。