浜松町駅(JR・東京モノレール)、大門駅(都営地下鉄)

2018年9月21日

大門駅

 浜松町駅および大門駅周辺の豆知識と個人的にオススメな観光スポットを紹介します。浜松町駅北口を出るとほぼ目の前に大門駅の入り口があります。

モヤイ像がある

 浜松町駅から徒歩圏内の竹芝桟橋・竹芝桟橋前の道路・浜崎公園・増上寺にあります。

竹芝桟橋

 竹芝桟橋の入り口付近に2体あります。女性像は表裏2つの顔があります。
浜松町のモヤイ浜松町モヤイねえさん裏の顔

竹芝桟橋前の道路

ウミウシモヤイ

増上寺

 非常に見つけにくいところにあります。
増上寺のモヤイ奥増上寺のモヤイ手前

浜崎公園

 太陽と月だと思うのですが。東京ガス本社とJR線路の間にある小さい公園にありました。
浜崎公園のモヤイ浜崎公園のモヤイ


古墳がある

 芝公園内に丸山古墳があります。東京都内では数少ない100メートル級の前方後円墳です。東側から登ると右側が後円部、左側が前方部になります。後円部は削られてかなり平らになっています。中央に石碑があり「瓢型古墳、外部遺物、埴輪、石櫛・無シ、遺体・不詳、副葬品・鉄その他鉄器・馬歯」とあるそうです。これは坪井正五郎によって建立された石碑で、丸山古墳は明治26年坪井正五郎により発見されました。誰のお墓なのかはわかっていません。5世紀くらいのものと思われるそうです。(港区立みなと図書館所蔵資料より)
丸山古墳

 なぜか伊能忠敬測地功労表もあります。丸山古墳と伊能忠敬との関連はわかりませんが、東京地学学会が功績をたたえ1889年にこの地に碑を建てたが、第二次世界大戦で失われ、1965年にもう一度建てたとありました(現地石碑より)。
伊能忠敬測地功労表

イケメンすぎるペリーの像がある

 芝公園内に「ペルリ提督の像」があります。1860年日米修好通商条約のために竹芝より来艦した、その100周年を記念して1960年に設置したそうです。(現地モニュメントより)
ペルリ提督の像

江戸時代の石垣がある

 東京ガス本社ビルに江戸時代の石垣があります。海岸一丁目特定街区建設工事の際に発掘された石垣を保存のためにここに移築しました。石垣が発見された場所は17世紀後半に埋め立てられた築地です。石は護岸用に使われていました。(現地看板より)
江戸時代の石垣

納税モニュメントがある

 浜松町駅前。謎すぎる。「広げよう納税の輪」。広がらなくていいんだけど。裏から見るとたしか交通安全。
広げよう納税の輪

大門は鉄筋コンクリート製

 増上寺の手前にある大門は増上寺の物に見えますが、2016年無償で東京都から増上寺に返還、それ以前は増上寺のものではありませんでした。もっと時代をさかのぼれば増上寺のものですが、1878年増上寺から東京府に寄付した経緯があります。1937年に東京市が鉄筋コンクリート製に建て替え今の姿になりました。1961年には交通の邪魔だからと取り壊す話も出ていたそうです。(朝日新聞 2016年5月7日 夕刊、読売新聞 1961年8月26日 港区立みなと図書館所蔵)鉄筋コンクリート製なのでなんとも昨日作った感がありますが、意外と歴史があります。
大門

芝公園はドーナツ状

 江戸時代、江戸には公園がありませんでした。けれども庭園はいくつもありました。といっても庭園は大名のものでほとんどは庶民が楽しめない場所。庶民にとっては徳川幕府が作った花見の名所や寺社がレジャースポットでした。明治時代に公園が誕生します。江戸時代からの花見の名所や社寺境内などが公園に指定されました。当初芝公園は増上寺境内を含む広い公園でしたが、戦後の新憲法の政教分離により増上寺の境内だけが公園から取り除かれました。そのため、真ん中だけがすっぽりない、ドーナツ状の公園になっています。(現地看板より)

増上寺の石灯篭は西武鉄道が全国にばらまいた

 第二次世界大戦後、増上寺の墓所を買収した西武鉄道によって石灯篭は埼玉県へ運ばれ、さらに全国の寺院などに引き取られました。どこにどんな形であるのかわからなくなっており、教育委員会や歴史研究家が追跡調査をしているそうです(朝日新聞 2005年3月26日 港区立みなと図書館所蔵)

尾崎紅葉の名は増上寺の紅葉山が由来

 浜松町駅近くには尾崎紅葉生誕の地があります。18歳の夏から増上寺境内の紅葉山からとって紅葉山人と号するようになったそうです。(現地看板より)

Posted by Hoiko Takahashi