パーソナルジムのトレーナーがびっくりするほど褒めてくれる話

 パーソナルトレーニングジムに通い始めました。行ってみて、ビックリ。「すばらしい!」「すごいです!」「いいじゃないですかー!」と、とにかくなんでも褒めてくれる世界でした。

ジムの人が褒めてくれるという漫画
ジムは「褒めてくれる屋」なのだ……

ホイコさんは、褒められたことない

 運動音痴ってあるじゃないですか。筆者のホイコさんはそれです。学校生活を思い出してみましょう。跳び箱は跳べないし、逆上がりもできないし、縄跳びの後ろ跳びもできません。走り幅跳びの記録は1メートルで、「それって大きな一歩じゃね?」と友人に言われましたとさ。

 極端に運動が苦手なホイコさんは、まあ、褒められたことがありません。どんなに教えたって跳び箱を飛び越えられませんから、先生はあきれ顔をする。そして最終的に放置される。こんな経験しかしていないのです。

なんでも褒めてくれるトレーナーさん

 で、通い始めてみたパーソナルトレーニング。運動苦手なホイコさんなので、できてるわけない、絶対にできてるわけないのに、トレーナーさんは「すばらしい!」「すごいじゃないですかー!」「めっちゃできますね」「いいじゃないですかー!」という言葉を連発します。

 本当になんでも褒めてくれます。最初に目標を書けって言われるんです。半分本気、半分笑って欲しくて書きました。

【トレーニングをして、あなたはどうなりたいですか?】
 126歳まで生きる。

 「いいじゃないですかー!」って言ってくれましたからね。もう、本当にすごい。絶対に否定されない。ところで、余談ではありますが、私は126歳まで生きることにしたので、iDecoから国民年金基金に切り替えました。

 さすが商売だな。これなら褒められたくて来るわ。と感心してしまいました。

なぜ、学校では褒めてくれなかったのか

 これだけ褒めてくれる教え方と出会うと、30年前に経験した学校教育はなんだったんだ、という気持ちなります。跳び箱飛べなかったですよ。全然飛べなかった。けれども、それで怒ることないじゃん。先生は飛べる子を指さして「あーやればいいんだよ」って言っただけ。で、あとは勝手に練習しててっていうだけ。今思えば、あの教え方でできるわけがないのです。

 でも、これって、この教え方がヒドイとか、古いとか、そういうことではなくて、時代がそうさせていたのかなと、最近思うのです。学校教育がなんのためにあるかと言えば、労働者を育てるため。教育現場が保守的なことを思うと30年前の教育が前提としていたのは、工場労働者を育成することだったでしょう。工場労働者は均一であることが求められます。みんなができることはできなくてはいけない。自分だけできないときに、ていねいに教えてなんてもらえない。その社会の仕組みを、学校で教えていたのだろうなぁと思うのです。

褒めまくることが生む人材ってなんだ?

 となると、この褒めまくる教え方の背景には、どういった社会の要請があるのでしょう。褒めまくられて育った人材はどうなるかというと、たぶん、チャレンジ精神が旺盛になります。なんとなくわかりますよね。変化が早い職場ほど、言われたことをやる人材ではなく、自ら道を切り開く人材を本気で求めているように思います。そう、これから必要な人材は、褒められることで生まれるんです。だから、私は、褒められに行くのだー!


 あーだこーだ言いましたけど、結局、褒められるのがうれしくてですね。いや、ほんと、めっちゃ気持ちいいんですよ。運動音痴のホイコさんでも楽しく運動ができるのです。大人っていいな。

 ワッホイ、ワッホイ。