国土交通省の社会実験に参加してきた!(後編)

明治丸

東京海洋大学越中島キャンパスの明治丸がチラ見できます。先ほどの雲膺丸とマストの張り方が違うらしく、こちらはSHIPの語源となったシップ型。
明治丸

永代橋

隅田川の橋のうち、2つが重要文化財となっています。永代橋も清洲橋も関東大震災後に復興のシンボルとして掲げられた橋です。
弓をひくような形のタイドアーチ型。両サイドの地盤がゆるいため、この形が採用されているそうです。
永代橋

弓を引くような形。ということで、本当に弓を引くようにして張力を保っています。橋の裏側には、その引っ張る部分が見えるのです!
永代橋の裏に

わかるかな。この板がたくさん詰まっているところ。これが引いてる機構なのだ。
永代橋の裏

豊海橋、隅田川大橋

「この橋は要らない橋だから、写真なんて撮らなくてイイヨ。」とガイドさんが言うかわいそうな子。永代橋と清洲橋が美すぎるので、景観的に邪魔らしい。
隅田川大橋

かわいそうだから、裏側も写真を撮っておいた。けど、見るべきは次の清洲橋だそうだ!
隅田川大橋の裏

清洲橋

2つめの国の重要文化財。清洲橋。奇跡の1枚。
清洲橋とスカイツリー

というか、何も計算したわけでもなく、スカイツリー建ててみたら、ちょうど清洲橋の真ん中だったらしい。
平和記念公園から見る原爆ドームほどには計算していない。

清洲橋を盛り上げるかのように漂う、いい香りがします。UCCの焙煎工場。
UCCの煙突

清洲橋も関東大震災後に建てられた吊り橋。ドイツのライン川にある橋をモデルに作られている。
惚れ惚れするこのデザイン。この造作。本気で惚れた。
惚れ惚れする清洲橋

この頃は、溶接技術がいい物がなかったので、鋲が多めに打たれています。
見てくれ。この、美しすぎる鋲たちを。
清洲橋の裏側

これは職人さんたちが手作業で打っていったのだろうか。とにかく惚れ惚れする鋲なのである。
清洲橋の裏側の鋲

※ここまでブログ書いて調べたら、勝どき橋も重要文化財らしいことが判明。書き直すの大変なので、ここで深くお詫びする。

新大橋

松尾芭蕉が旅立ったという場所の先には新大橋。古い物は明治村に行ってしまい、現在のこの橋は昭和52年のもの。
斜張橋の可能性が見える橋。こんなシンプルな形でも成り立つのです。
el

ここで、後ろから、22世紀のカメムシみたいな船が追い越していきます。
ホタルナです。松本零士先生デザインの観光汽船です。
ホタルナ

ガイドさんが言うには、あの船は外から見てカッコイイけど、中にいると大して面白くないそうで。
この船のように、屋根がなくて、風が受けられた方が良いよ!って、まるで救命ボートだけどなっ!

首都高両国ジャンクションと堅川水門

川の上にジャンクション。首都高を作った人も、いろいろやってくれる物です。
両国ジャンクション

高速道路が3本走っています。1つの支柱に3つの道路が支えられているのですが、その右となり、支柱を建てたいのに建てられなかったんですね。下の道路が上の道路につり下げられて支えられています。

何はともあれ、ジャンクションを眺めるのは楽しい。理屈はいらない。とにかく、萌える。
ジャンクション裏側

こちらは堅川水門。水門の向こうの町は低い土地です。
堅川水門

総武線跨線橋とスカイツリー

ミーハーだなあと思いつつも、スカイツリー撮影スポットと言われると、ついつい撮っちゃう。
総武線とスカイツリー

わざわざ船長が神田川を通り過ぎて、撮影スポットまで行ってくれました。
ちょうど総武線も通って、バッチリのタイミング!

って、カメラ2台も持って行ったのに、両方充電切れちゃって(どんだけ撮ったんだ。)、落としたらヤバイとドキドキしながらスマホで撮影。
それだけが心残り。

柳橋をくぐって、船は神田川へ。
どこからともなく、三味線の音が聞こえてきます。
柳橋

そして、話は最終段階。次ページでは、神田川での船宿で佃煮を購入し、最終目的地、秋葉原に向かいます。
デザインがアレで、「次のページ」が見つけにくくて申し訳ない。
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